鍋横の映画館 〜オデヲン座〜
オデヲン座(旧本町通4-30・現中央4-1)
昭和25年12月、都電杉並線鍋屋横丁電停北側に開館。当初の名称は「中野ロマンス座」でしたが、昭和30年頃「中野オデヲン座」に改称され、洋画や東宝映画が上映されていました。昭和54年に閉館され、現在は10階建てマンションになっています。浅田次郎の小説「メトロに乗って」に登場する映画館です。
城西館とオデヲン座の思い出
清水ヒサエ:平成20年談
昭和30年頃、兄達に連れられて城西館には度々行きました。東映、大映の時代劇など3本立が上映され夜7時30分頃から割引となり一本半位観ることが出来ました。
木製のベンチのような長椅子で左右の椅子が真ん中に向かってかすかに傾斜していて、観ているうちに段々と体がずれていったのを覚えています。
結婚してからは近くにあったオデヲン座に子どもを寝かしつけてよく観に行き
ました。印象に残っているのは、「戦争と平和」や山口百恵の「霧の旗」などです。ある時、子猫程もある大ネズミがスクリーンの下を縦横に走っていて、びっくりしたこともあります。
オデヲン座の思い出
肥後正子:平成10年談
私が子どもの頃の鍋横は原っぱが多くて、あっちこっちで盆踊りや草相撲等をやったりしてました。鍋横の交差点の辺り(中央4-1)も原っぱが多かったけど、そこに「オデヲン座」という映画館があって、たしか最初は「ロマンス座」という名前でした。「本郷たんぼに行ってきます」と言ってはあっちこっちの映画館に行ってました。鍋横には古くから「城西館」や「中野館」という映画館がありましたが、戦時中の強制疎開で取り壊されてしまいました。
映画館の中では「おせんにキャラメル」といって売り歩いていて、たしか一銭であめ玉が3〜4個買えたと思います。
戦後、娯楽といえば映画ぐらいしかなく、立見がでるほど混んだときもありましたが、テレビが普及したせいかだんだん観客も減っていきました。
私もすっかり映画館に足を運ばなくなって、気が付くと鍋横に最後まで残っていたオデヲン座もなくなっていました。
江藤利雄:平成20年談
オープン時上映された大谷友右衛門主演の「佐々木小次郎」を観た。すごくかっこよかった。
川井陽子:平成20年談
子どもの頃絵本の世界の中だけで夢見ていたディズニー映画を中野坂上から都電に乗り、ちょっぴり大人になった気分でわくわくしながら観にいきました。車窓から見える青梅街道の風景も賑やかで、昼間にも関わらずなぜかオデヲン座周辺がキラキラ輝いて見えたのを子ども心に今でもはっきり覚えています。
木口弘:平成20年談
妻との初デートはオデヲン座で洋画を観て、東京パンのパーラーでお茶を飲みました。当時としては一番洒落たコースでした。
高野允雄:平成20年談
「下町の太陽」で爆発的な人気がでた女優、倍賞千恵子が隣の美容室で着付けをして舞台挨拶に来たことがありました。また、夏にナイトショウの先駆け館として、上映時間が延長されました。
成瀬光:平成20年談
雪のシーンを観ていたら、天井が割れて本物の雪が降ってきて驚きました。建物が老朽化していたのでしょう。また、館内も空いていて休憩時間以外にトイレに行くのも怖かったです。