鍋横の映画館 〜城西館〜

城西館(旧本町通4-8・現中央3-32)

松竹映画の上映館として大正12年開館。戦前は慈眼寺の並びにありました。強制疎開によって取り壊され、戦後現在の中央3-25に移り開館しましたが昭和35年前後には閉館しました。

昭和十三年発行城西館ニュース。映画以外にも土曜・日曜には深夜漫才が興行されていました。夜九時より料金十銭均一とあります。

城西館・中野館の思い出

能勢小夜子:平成5年談
戦前、戦中、戦後から中野に向かって、青梅街道の北側に何軒かの映画館がありました。ほかに楽しみのない時代でしたから、遠くまで大人に連れられ休みの日や夜に(割引があるので)よく観にいきました。
中野警察から杉山公園寄りに城西館があり、松竹下加茂や大船の映画を上映していました。「雪之丞」の林長二郎、「愛染かつら」の田中絹代、桑野通子、森川まさみ、「浅草の灯」の高峰三枝子、時代劇の坂東好太郎、高田浩吉、川浪良太郎と懐かしい顔が浮かんできます。叔母が、少しの間もぎりをしていたので、昭和1ケタの時から観に行きました。満員で通路に座って観たこともあります。
休憩時間に「おせんにキャラメル」と籠を胸に下げて売り子さんが廻っていました。どの映画館も小さくて、トイレの臭気も感じられるような小屋でしたが、人々の憩いの場所でした。
追分通りには中野館がありました。日活映画が上映されていました。「暢気眼鏡」の杉狂児と轟夕起子、「土」の山本嘉一と風見章子、「宮本武蔵」の片岡千恵蔵と宮城千賀子、阪妻や嵐寛の時代劇には胸がどきどきしましたっけ。
戦争の厳しさが身に染みる朝晩、空襲、空襲のあけくれで映画どころではなくなり、殺伐とした日々。3月10日の大空襲で、青梅街道の北側に住んでいた人びとの家は強制疎開で壊され、懐かしい人びとも散り散りに去って行き、追い打ちをかけるように5月25日の空襲に遭い、すべてが消え去りました。昭和20年から50年近くたった今、古い映画館が生きいきとして私の脳裏に蘇ったのは不思議な気がします。