鍋屋横丁未来への展望

写真中央フレームの中は平成元年(1989年)の鍋横通りです。右側角は富士銀行(現・みずほ銀行)で反対側は本文にも登場した東横喫茶店や道しるべがあった商店街です。正面には旧消防署の望楼が見えます。外側に立ち並ぶビルの風景が、同じ位置からとらえた現在の正式名「鍋屋横丁通り」です。
30年前、未来の提案として発行された「2001NABEYOKOわがまちグラフィティ」という冊子があります。その中に「輝いている鍋横」というタイトルで当時中学生の少女の作文が載っています。
『鍋横ってどんなまち?と聞かれたら、私は何と答えるだろうか』この出だしから始まる文章の最後を「鍋屋横丁未来への展望」と重ね合わせて紹介します。『だから「二十一世紀の新しいまちづくり」とか、そういうのにこだわらないで、今の鍋横のいいところをいつまでも大切にしていってほしいな、と思っている。みんなが鍋横を心の故郷だっていえるように、今、鍋横が持っている輝きを失わないで前進していってほしいと思っている』

過去から現在、未来と変化する鍋横の最後の「物語」です。

地図の円内は昭和24年阿波屋呉服店の当主江藤喜三郎氏が、地域のため中野区に出張所の敷地として使ってほしいと寄贈した土地です。
当時の「土地寄付願」の書類です。

現在は区民活動センターの分室「高齢者集会室」として使用されています。

隣接の消防署は昭和8年に木造で建てられ、昭和36年6月に鉄筋に変わりましたが、平成5年7月青梅街道の現在地(中央3-25)に移転となりました。それに伴い都有地から中野区が購入しました。当時の消防署に必ず設置されていた望楼(火の見やぐら)は、昭和49年から廃止の方向になりました。電話の普及と建物の高層化によるものと言われています。周囲の家から覗かれている様だとの苦情もあったようです。望楼は24時間交代で巡回していましたが、実際は火事の発見よりも、消火後に煙が出ているかなどの確認に「留守番隊」が活用していました

現在は自転車駐輪場となっています。

この土地には鍋横区民活動センターが建設される予定です。

...これからの鍋屋横丁はどのような姿を見せてくれるのでしょうか。