鍋屋横丁の由来 〜鍋屋横丁〜
青梅街道は文政年間(1818-1829年)に堀之内の妙法寺への参詣が増えるにつれて道幅も拡げられ、次第に商人が進出し賑わうようになりました。参詣道の入り口に美しい梅林をもつ「鍋屋」という休み茶屋がありました。
渋谷の恋文横丁、品川の青物横丁とならび東京の三大横丁(諸説あり)のひとつとして名高い鍋屋横丁。その名前の由来となっているのがこの「鍋屋」、江戸時代には草もちがおいしいと有名な茶屋で大変繁盛していたそうです。このことは、堀之内妙法寺記にその様子が描かれています。(太田蜀山人画・表紙参照)しかし、現在その名前は地名として残っているだけです。その後、江戸から明治・大正・昭和へと時代と共に道路も整備拡張され、多くの人びとが往来し、まちも大きく移り変わっていきました。