鍋屋横丁の由来 〜鍋屋〜

鍋屋には美しい梅林があって、戦前までその辺り(三菱東京UFJ銀行から鍋屋横丁通りに沿っておよそ70m)は梅屋敷と呼ばれていました。鍋屋がちょうど堀之内の妙法寺への参詣道の入り口にありましたので、多くの善男善女がここで休憩したと思われます。

鍋屋は、姓を横田といい、代々勘右衛門を名乗っていたようです。当時の鍋屋の繁栄を偲ばせるものとして現在残っているのは東中野1丁目の氷川神社境内の鳥居で「文久二年(1862年)戌年九月願主鍋屋勘右衛門」と記されています。鍋屋が幕末の頃に寄進したと思われます。また鍋横交差点付近にあった堀之内まで十八丁十間と刻まれた「道しるべ」にもその名を残しています。

この鍋屋は明治、大正と時代が移り変わると共に衰退し、現在では地名に名を残すのみとなりました。

道しるべ「當所角鍋屋」と刻まれています。
昭和初めの東中野氷川神社
その中に鍋屋勘右衛門が寄進した鳥居もあります。
梅屋敷の名残として石の橋があります。この橋は、後の持ち主江藤家より歴史民俗資料館に寄贈されました。