東京パン

東京パンは鍋屋横丁交差点の角にあり、窓辺からは西武電車や青バス・銀バス、時には牛車・馬車の行き交い、台に乗った交通整理の巡査の姿など、町の賑わいが見られるお店でした。

当初は日清製粉の子会社で1階がパン販売と喫茶、2階が洋食、3階が厨房になっていました。洋食部はこの辺りでは数少ない洋食器を使用する店で、ポークソティが評判でパンの両端に東京パンのマークが焼印されていました。

東京パンは戦前にシュークリームやスィートポテトなどの洋菓子があり、季節外れにリンゴなどのフルーツが食べられる貴重なお店でした。建物の後ろに五柱五成神社のイチョウの木が見えます。

東京パンの「思い出ものがたり」

新井喜助:平成20年談
私と東京パンの関わりは、父が戦後、唯一焼け残った鍋屋横丁店に移ってきてからです。当時は、パン屋にパンのない時代で、各種の食品を扱っていましたが、何しろ物不足で物資を集めるのに苦労しました。その関係から父が正田家に焼きたてのパンをお届けに上がっていたと聞いています。昭和25年ごろ(株)東京パンが閉店する際に父が後を引継ぎ、(有)東京パンとしました。その頃にはもう建物も老朽化しており、1階のみでパンや菓子類の販売と喫茶店を営業し私は喫茶部を担当しました。

近くにオデヲン座が出来てからは映画帰りのお客さんが大勢いました。昭和40年代には店は閉まり、現在は三菱東京UFJ銀行になっています。