慈眼寺

慈眼寺は真言宗豊山派の寺院で福王山弥勒院と号し天文十三年(1544年)の創建と伝えられています。以前は慈眼堂橋(堀越学園そば)の西方に位置していましたが、江戸時代に現在地に移りました。境内左手にある氷川堂には、大変慈悲深く「生き仏」と慕われた第15代住職覚順和尚が祀られています。
旧本堂は文政・天保(1800年代前半)の間に建立されたと伝えられていますが戦災により焼失し戦後再建しました。

昭和54年に建立された金色のパゴダは、タイ国バンコックにある王立一級寺院ワット・サケートより寄贈された釈尊の遺骨一粒(カピラバストゥにて出土されたもの)が奉安されています。

パゴダは仏舎利塔のことでお釈迦様のお舎利(ご遺骨)を安置するための供養塔です。

本堂の屋根からの雨水を溜める天水桶に大釜が使用されています。この釜は明治18年創業の「あぶまた味噌」から寄進されたものです。

慈眼寺の境内には多数の石仏があります。青梅街道の道路拡充工事などにより沿道にあったものなどが移設、安置された様々な石仏群です。

馬頭観音は頭上に馬頭をつけ、角柱部分は道しるべになっています。左あふめ道(青梅)、右いくさ道(井草)、と記されていて元は青梅街道と石神井道との分岐する追分の三叉路にありました。文化十三年(1816年)建立されたものです。
庚申塔は干支の庚申に由来するもので、日月、青面金剛、邪鬼、三匹の猿、鶏などが彫られています。元禄三年〜寛保二年(1690-1742年)のものが6基あります。
地蔵菩薩(お地蔵さま)は西町天神の東側にあった西行寺から桃花小学校のケヤキの木の下に移され、さらに昭和30年に慈眼寺の境内に安置されました。